8月4日

気に食わない相手に尊敬の気持ちを抱くのは不可能ではない

久しぶりに荒川洋治『文芸時評という感想』を読んだ。本書で紹介されている作品を自分でも読んでみようと思った。
荒川洋治は詩人であり多くの詩集を刊行しているが、同じくらい多くの文芸評論やエッセイが刊行されている。文芸評論の中で私が一番好きな作品が『文芸時評という感想』で、本書は1992年から2004年にかけて産経新聞に連載されていた文芸時評を集めたものだ。
第五回(2006)小林秀雄賞受賞作で、その時の選評とインタビューをwebで読むことができる。
ご本人のインタビューから執筆時の姿勢が伝わってくる。以下引用。

批判というのは難しいですが、それでも、あえて書く。時評はその作家を理解するためのものではないんです。あくまでも目の前の作品をどう読むかですから、それぞれの作家の生き方とか、これまでの歴史とか、そういうものを背負う必要はない。作品を読んで、よかったらよかったと言い、つまらないと思ったら、素直につまらないという。ですから、僕の文芸時評は、一人の作家単位でみると、作品によって上げたり下げたりがずいぶんあると思うんですよ。でも、その作品に対してものを言っているという、それだけのことなんです。
いくつか論争もありましたが、べつにその作家が嫌いなわけじゃない。いい作品のときは、手放しで褒めますよ。でも、その日会って話した作家の新作をその晩に読んで、批判を書いている可能性はありますね。それはこちらが小説の外側にいる人間だからというだけではない。僕はこれまで詩の世界でも、そうしてきたんです。詩の世界にもしがらみがある。でも、そのしがらみを断って事を行なっていかないと、自分自身の姿勢が汚れてくる。言葉も汚れてくるんです。

私は本書を、高橋源一郎『ニッポンの小説』から知った。高橋源一郎は、『文芸時評という感想』を補助線にして、現代の”ニッポンの小説”が歩んだ道程を辿る。
“『文芸時評という感想』は、12年間にわたる、「ニッポンの小説」の、最良の定点観測の記録なのである”と記している。
ここから興味が湧いて、数年前に『文芸時評という感想』を古本屋で購入し、それ以来、時折読んでいる。小林秀雄賞を受賞している程には世間的にも評価されているにもかかわらず、絶版なのはもったいないと思う。(ぜひ文庫化してほしい)

美しい話を読んだ。そういう気持ちになったのでした。この美しい話を読んだのは、わたしではなく、荒川さんだったのに。誰かが「読む」のを「読む」だけでも、こんなに楽しいこともある。そう思えたのです。

この部分を読んで、とても共感したんですが、一方で自身を振り返ると、書評を読むだけ読んで、実際に紹介されている作品を読んだことが少ないことに気付いてしまって、悲しくなったのでした。
いや、書評を読んで面白そうと思ったものは購入するんですが、その多くは読む時間がなくて積まれたままになっている。あるいは、図書館で序文だけ読んでそのままになっていたり…
『文芸時評という感想』に並走しながら、“ニッポンの小説”の道筋を自分なりに辿ってみたくなった。そうして、自分なりの”感想”を育てていきたい。

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